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1947北海道三笠市唐松の幌内炭鉱の長屋で生れる。
5歳から東京暮らしが始まる。
15歳絵師になるべく決心する。父にそろばんを目に当てられて月に幾ら稼げるか計算してみろと詰め寄られ泣くばかりだった。
橋の下で乞食になって寝ているつもりかと怒鳴られ、家業を継がない者は息子でもないと冷たくされながらも密かに絵の勉強する。
高校時代は昼飯を食べないで貯めたお金で筆や絵の具を買った。
神父ジールカロン様、画家久富金之助先生に師事し厳しく基礎を仕込まれる。
父は賛沢をさせてくれ自分の軽四で高校三年生の時通う。
19歳初めて個展を自由が丘の喫茶桃山でやらせてもらい、絵を売り始めた。
とにかく絵の具代のために絵を売ることばかり考えていたのだった。
朝は築地で働いたり、色彩研究所で働いた。
建築インテリアデザインをやると父を偽り、絵に近づくことばかりしていた。
仲間と銀座で展覧会をしきりに開いた。
20歳新潟に暮らす。グループ展を継続する。
24歳京橋に画廊を開くも、骨董品で引っかかり破産。
26歳韓国の人間国宝金魚(仏画師李萬奉)に師事し建築装飾丹育を研究する。
新羅の古墳下まで降りた外国人一号となった。
27歳戦後初めての外国人としてソウルの新世界美術館で個展を開くも、反日家に絵を叩き破られたが、芸術に国境はないと言う教授がその作品を買い支えてくれた。
各国の大使ご夫妻、李王家の正子妃殿下を初め、多くの方が買ってくださり完売した。
その半年後朝鮮ホテル画廊で個展を開く。
立川談志(国会議員だった落語家)さんが丁度来られて一枚買って頂いた。
ガボン大統領がホテルを借り上げたので会期は延長になった。
完売した。
28歳帰国、銀座で個展完売。
GLA青年部の活動をする。
半年一回ほど個展をし、またAACなるグループが出来て、一回50点ほどが売れていった。
東京名古屋大阪福岡と飛び回った。
30歳平和島に家を買う。
35歳家を売ってニースに移住。
最初サンポール・ド・ヴァンスというシャガールの住む町に住んだ。
ニースに個人美術館が出来る。
ローザンヌで3回個展完売。
ニース、バルボンヌでも個展。
40歳帰国。銀座セントラル美術館で毎年個展。
黒崎そごうで個展を続ける。
ほぼ完売。
バブル崩壊でがっくり来る。
50歳再びパリに住み始める。
パリで4回個展完売。
55歳帰国小倉で個展。
61歳初めて東京以北の札幌で個展。
世界中に一万六千点以上が出回っている。
色紙は14000点を越す。
油は1号15万円で売っているが不景気になっても絶対に値下げはしないと決めている。
もっと上がるべく努力の日々だ。
日本人の描くのは油であろうが正油であろうが日本人画なんだと確信している。洋画、日本画と区別する事はコッケイだと思っている。ピカソが日本で墨で描いたが、日本画と呼んでないではないか! 全く心の中の世界である所謂宗教画こそ抽象画そのものではないだろうか。 モデルのない世界をハッキリと心で描ききったときに、形として絵画化または作品化できるのだからだ。 見えない世界を描こうとするとき、もやもやと訳のわからない感覚だけの表現となりやすいが、意識の中での存在だからこそ抽象的存在であり、 これを表現したとき最高の抽象画といえるのであろう。 私にとって天使、菩薩、仏陀、キリストを描くのは、山川草木花卉と同じ次元でとらえることが出来る。 物質としての存在を通して魂つまり意識のエネルギーを表現してしまうからだ。 私の作品を見て、悪を止め、自殺を思いとどまる人、安らぐ人が一人でも出るようなものを残したいと願っている。 笑顔を見る人が免疫を高めることが医学的に証明されたと発表されました。健康になる絵画というものがあっても良いのではないでしょうか?安らぎと免疫アップ色紙として描き進んでいます。
「天国地獄図」 四曲屏風 天然顔料
フェノロッサと岡倉天心によって壊されてしまった日本人本来の美意識を取り戻さねばならない。
西洋かぶれや、マチスやシャガールばりだと喜んでいる内は日本人の現代
作家は世界から笑われているのだ。日本人の持つ大首に描いてしまう感覚、円や菱形に
収めてしまう感覚こそ大切な事だ。ジャズマンシリーズはそうして描かれた。プリミテ
ィブシリーズは画家として最も難しい作品だ。自分が4歳になりきって描かなくては成
らないから。何度も言うが日本人が描けば画材はどうあれ、日本人画なのだ。西洋画が
油絵なら玉虫厨子もそう呼ぶべきだろう。現代人が描くものは全部現代作品そのものだ
と言うことも自覚しよう。抽象だ具象だと区分けしてしまうことが馬鹿らしいのだ。
世紀始芸術
世紀末芸術という言葉に、淫摩な廃退的な、苦い水を飲まされたようなものを感じてき たのである。そこには、してはならない悪への誘いさえ感じているのだ。 楽をしたい、早く移動したい、うまい物を鱈腹食べたい、快楽を享受したい、などなど の欲望を満たそうとする自己保存から来る心を誘う芸術であったのだ。 20世紀末であるからだろうか、いやまたいつの世紀の末期にも現われているのだろうか? 漠然とした評論家の呼び方が、いつしかムードを作り上げてしまい、人心を翻弄してく るのであろう。そこに大きく寄与してしまってきたのが世紀末芸術であると言える。 しかし、21世紀を迎え、物質集めに行き詰まり、心と魂の世界が眼前に広がりつつあ る今こそ、世紀始芸術と呼ぶべき作品群が世に現れ始めるだろう。 単なる風景画は写真に負けてしまい、写実は写真技術に追いつけない程である。 抽象絵画と呼ばれて制作してる側の混沌しか出てこない造形では行き詰まりを感じてい るのも否めないのだ。この世の三次元では見られない魂の世界をはっきりと描き出す事が 本当の抽象絵画であると言えるであろう。 目で見るか、心で見るか、意識世界つまり魂で見るか、映像として映し出されなければ 描き出すことは出来ないのだ。 肉体だけではない、物質と不二一体の魂と呼ばれる不滅のエネルギー世界を無視できな くなって来ている時代に突入してきたと言えるだろう。 心のやすらぎ、魂の昇華、悟りへの誘い、菩薩=Bodiesattobah の心境と行動へと導く 一つの手段が芸術に託されているのだ。 色心不二を認め、芸術の使命が、魂救済の道具であると自覚したときに出てくる作品群 はやがて世紀始芸術と呼ばれることになるだろう。 芸術という生命は、他の用をなして生命と呼ぱれ、生命は他を生かすことを天命として いるのだし、全体の調和を目指すものであるのだ。芸術が創り出す次元のトンネルから流 れ出す善悪の波動の行方は芸術家の責任であると言える。そして自分で蒔いた種は自分で 刈り取らねばならないのだ。
三戒堂 洸恍
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